誰にも話したくない過去の話をしよう
自分のことを話そうと思う。
話せるだけ話そうと思う。
自分は何者で自分は何を経験してきたのか。
思い出せるだけ、嫌われてもいいから
話そうと思う。
読みたい人だけ、読んでもらえば大丈夫です。
誰にも話せない独り言です。
自分は小さい時からませていた。
ほんとにませすぎて、小学校中学年のころには、親に女の子とかかわるのはやめなさいと言われたようなこともある。それでもやめられなくて、隠れて遊んでいたこともあった。
ただ、それはほんとにダメなんだと感じたのは小学校高学年の時。それ以来、女性に手を出すのをやめた。
高学年の時にはミニバスをやっていて、ほかの学校の女子から文通をする中になったことがある。それも何通かを送るだけ。その時は人を好きになるという行為をわかっていなかった。わかっていたのかもしれないが、誰かに「〇〇がお前のことすきなのかもよ」とほのめかされ、なんだか馬鹿にさえされている感じが嫌だった。
だから、自分は恋愛をするのを隠すようになった。好きな人がいても周りには隠していた。普通にバレバレのようでいつものように茶化されたが。
小学校を卒業して、中学に入ってからもそれは変わらなかった。
ほとんど同じクラスの人だったから、好きなることも少なかったが、ある時にまた恋をした。そして、その人を目で追うのが癖になっていた。気になる人、好きだなと感じた人にはとことん話すようになるが、その当時から人とのかかわり方を知らなかったため、大体は好きな人には距離を置かれることがほとんどだった。
今思い返してみると、純粋にいきなり何の接点もない奴が話しかけて、一緒に帰り路を過ごすとかほんとにストーカーまがいのことのようなところまでしていたこともあったのだと思う。
そして、中学では2度恋をし、一人はしっかり嫌われるまでに至った。
もう一人は嫌いなのかは知らないが、自分から距離を置いている。
その時に恋をすれば、人に嫌われると感じるようになった。
恋愛だけではなく、友人関係もあまり良好ではなかった。
中学から仲のいい友達は一人だけ。それ以外は、ほとんど接点を持たなかった。
大人数でいるといじられキャラになり、対面の時は親身に接してくれる。
そんな奴がほどんどで自分の中では信用できない人達になっていた。
だから怖かった。遊ぶには遊ぶけど、いじられないようにと細心の注意を払いながら、人と遊び、何かあるなと感じたらすぐに回避するように逃げた。
おかげで疑心暗鬼になっていた。
仲良くしていたやつにゲームをかして、返してもらえず、そのゲームを売られたこともある。
それで泣いたこともある。それで友達なんて信用できないと思うようになった。
人は信用できない。信用できるのは誰もいない。
恋をすれば、その恋はうまくいかず、人を好きになれば、嫌わられるのではないかとびくびくおびえ、自分の身の回りにいる中で信用できるのは家族と中学の時に一人だけ話すことのできた友達だけだった。ただ、自分のことは一切、話したことはない。
そんな小中学校生活を過ごし、中学校でかかわることの少ない奴がいる高校を選んだ。
単純に新しい環境にかわることが楽しみだった。
けど、そんなのも2か月しないで終わった。中学校の時にいたある男子が、誰にも見られたくない動画を見られたのだ。
けど、その時にはもう人なんてどうでもいいと思っていたので適当にあしらい、近くの席の人と話したり、かかわれるような人と話すことが多くなった。
高校時代はそんなに苦しくはなかった。
恋もあきらめ、人間関係もほぼほぼ捨て、自分を偽り、人の目を気にしながら生きていいたらから。楽だった。むしろ、笑えるくらいに楽だった。
ちゃんと好きな人もいたけど、「好きになれば嫌われる。目で人を追いかけたら嫌われる」そうやって、自分の固定概念で自分を縛り続けた結果。ちゃんと何もなく無事に終わることができた。
そして、何人か仲のいい人はいたが、本心を打ち明ける人は誰もいないまま、しっかり高校生活を終えた。
高校卒業後は、工業系の仕事に就職しようと思っていたが、就労が難しい世の中だといわれたので、保育の道を進もうとした。その過程で仲良くなった人が一人だけいた。他クラスの男子だったが、同じ大学に進むからという理由で仲良くなった。
保育は短大に進み、その仲良くなった奴と一緒に行くこともあった。そいつが仲良かった女子とも話せるようになって、自分自身、少しは大丈夫かもと思ったが、
人とかかわることはほんとに無理だったようで、ずっと他クラスの人との交流をしていたために、誰一人として、心を開ける人はいなかった。
気づいたら、大学の先生の部屋に行ったり、一人でピアノ練習場に行き、個室で本を読んだり、ピアノを弾いたり、寝たりしている毎日を過ごしていた。
授業が終わったら、仲いい奴と一緒に帰る。サークルも入ったが、運動が下手すぎて、嫌われるのが怖くて、行かなくなり、体育祭、文化祭も楽しもうとするも周りの目が怖くて、結局一人を好み一人で過ごすことが多くなった。
他クラスの人とは仲がよかったので、それが救いだったような気もするが、昔の女性に手を出さないという自分の縛りを壊したせいで、自分はしっかり孤立の道を行った。
2年になり、車がつかえるようになると仲いい奴をのせて、ドライブをしていた。けど、真面目な印象を持たれていたので、それが相まって、性的なことに発展すればするほど、自分の行動は嫌われるものになっていった。
だんたんと人と接するのも怖くなり、話せる人も減っていき、気づいたら、また一人でいることが多くなった。
けど、高校の時に仲良くしていたやつとは変えることがしばしば。
大学卒業ぎりぎりにいつものメンツで今後も遊びたいと伝えたことがあった。
けど答えは
「大学で仲良くなった奴と一生遊ばないでしょ。お前とは多分かかわらないと思う」
そう告げられた。ほかに仲のいい女子が二人いたが、そいつらも同じ意見だった。
ちゃんと嫌われていた。ちゃんと裏切られた。その当時はそう思っていた。
今は俺が幼かったのかなと思うだけで、もうどうでもいいやと思った。友達ってんだろうって思うようになり、人なんてくそだと感じ、自ら心を閉ざした。
その時、運転していた俺だが、結局、途中でお酒を飲み、大学まで行く運転をそいつに任せた。もう、どうでもよくなった。
大学に到着してから、俺は大学の一人だけ話せるだろう先生のもとに行き、その話を涙ながらにした。その先生は何も言わずにコーヒーとおかしをだしてくれて、そのあとに一言だけ告げてくれた。
「友達って何かわからなくなった時期、私にもあった。私もそういう時にすごく悩んだの。で分かったのはね、友達ってお互いに高めあえる仲なのかなって思うようになった。そしたら、だいぶ人との付き合い方も変わったよ」
その言葉は確かになと思った。だから、心はすっと軽くなった。
結局、その友達と思っていたやつとはずっとまた戻れないかなと模索したけど、無理だったから自分から距離を置いた。ちゃんと一人になった。
大学卒業後はしっかり保育士になった。
保育士になった時には、もう仕事だけ頑張ろうとか、とりあえず、保育士楽しみだなとかそういうことしか考えてなかった。人のことなんてどうでもいいと思っていたから、職場の人間関係もどうでもいいと思った。
けど、少しでもと希望を持ったこともある。
そして、始まった保育士時代。
保育士になって、初めに聞いた一言は
「この保育園を私は今年やめようと思う」という先輩保育士の発言だった。
自分が入った時に、園長先生が新しくなり、前園長がいいとの声が大きく上がっていた。自分からしたら、今の園長先生が園長先生なのだから、どうでもいいんじゃないのと思っていたが、いろいろと話を聞くと、不平不満愚痴の嵐だった。
保育士始めた2か月の間は仕事に慣れるために毎日必死になってやっていたが、ふと気を抜くと、どろどろとしていた人間関係が見えていた。
予想はしていたが、それでも気持ちが悪くなるほどだった。
だから、園長先生と話す機会があった時は、今一人一人が抱えている不満を聞きだしたほうがいい、一人ひとり面接して聞いたほうがいいと、新人の若造の自分が園長先生に話していた。自分の発言がどう考えてもおかしいのは、その時はわからなかった。
とりあえず、この気持ち悪い人間関係のどろどろを解消したかった。
面接を初めて、自分の時には昼休みでは足りなく、4時間以上別室で話したこともある。何を話したかは覚えているし、それを会議で取り上げられて、話したこともある。
だいたいは、自分の話した内容がメインで、孤独を経験している自分からしたら、ショックはあったが、どうでもいいかなと思った。
結局、自分のワンマンプレイで人をひっちゃかめっちゃかにしたのだと思う。
それと自分はその時に自殺を考えたことがある。
自分の不祥事で大事な命を失わせてしまう可能性があったからだ。大事には至らなかったが、自分のミスで殺してしまうところだった。
その夜に首にひもを巻いて、死のうとした。けど、死んでも何にもならないことをしっていた。そのまま眠り、朝が来て、職場へ向かう時には自転車をこぎながら、泣いていた。一人になってもと職場に早く行こうとしていたのに、職場に行けば声を出したくなくなり、自分の精神はもはや死んでいた。孤独よりももっともっと大事な命を消そうとした。
すこしでも職場で笑顔を見るとその子たちに申し訳ない気持ちになり、笑顔でいながら、泣いていた。自分の気持ちはもう死んでいた。
それから保育士は好きだが、つづける意欲が減っていたのかもしれない。
なにもしらない家族もその気持ちを誰にも話さなかった俺はずっとこの気持ちをぶつけたまま、一人でもがいてもがいて、違う道を探して、逃げたかのようにやめたのだと思う。ほんとに申し訳ないことをした。
保育士2年目の時に違うことをしようと決め、保育を三年続けた後に映像会社の営業に転職した。もともと、保育士時代に動画制作にはまり、技術を高めていけたらと思っていたからである。就職はしたものの半年でやめていた。
営業がきらいなわけでも仕事が嫌いなわけでもなかった。けど、やる意欲を失っていた。いつもと同じルーティンで動き、仕事を真面目にしてこなかったことが今に響いたのだと感じた。その時に入った同期のほうが、バリバリ仕事もできて、同じ保育士を転職してきた人ということで、ほんとに俺とはま反対の人間だった。
そいつは人に好かれ、俺は人から嫌われ、撮影先で人の名前を間違え、撮影の仕方が悪くて怒られ、撮影させていただいた先方に涙ながらに謝罪した。泣いても意味のないことだと知っていたが、申し訳ない気持ちでいっぱいで泣いて謝罪した。
そして、保育士の時と同じように逃げてやめたように周りの人は感じていると思う。
俺は送別会も何もなかった。ほんとにそれだけ損害を与えかねない人だった。
そのあとは借金を背負い、派遣を始める。
派遣業は国際支援団体の募金活動、電力自由化の営業、家電量販店での販売員をする。
人と接するのが苦痛だった自分からしたら、ほんとに楽だった。
見ず知らずの人としかも接点もそんなに持たなくていいのだから。楽だった。
けど、孤独はぬぐえなかった。ほんとにぬぐえなかった。
ずっと一人の感覚だった。
簡単に人を信じることができなくなり、人の目を見て、笑顔で接していても人が何を考えているのか怖くて怖くてなにも話せないでいる。
この過去ですら、知っている人はほどんどいない。
話したところで受け止められる人はいない。だから、一人ぼっちなのだ。
今も同じことを毎日繰り返している。
今では家族でさえも心のよりどころではなく、職場の人でも信用できない。
なにもできなくなり、行動できなくなり、一人でいることを好み、誰かと楽しそうに話している空間が悔しいほどにうらやましくなる。
そして、自分は一人だと感じる。
そう感じてしまったら、誰も信用できなくなってしまう。
だから、だから、誰かに自分のことが嫌いなら嫌い。
嫌なら嫌だと面と向かって話してほしい。そうしないと自分はどうでもいい概念を作り、人と距離をとってしまう。
単純だ。自分から聞けばいいのだから。
そう思いながら、こうやっていつも一人の部屋に閉じこもり、自分の心の中をのぞいている気になっている人を見て、そんなのは自分じゃないと自分で言い聞かせ、ほんとに仲良くなれるのは誰なのだと毎日、悩み、苦しみ、笑顔をふりまき、
誰かとのつながりを求めている。
人がほんとは温かいことを知っている。
臆病になっているのは自分なのだ。
強がって泣いているのは自分なのだ。
最後まで読んでくれた人はありがとうございます。