あたまの中を言語化してみた

人に伝えるコミュニケーション、行動力をつける。そんなブログがここにあります。

人を愛するということについて

人を愛したいとか

人を好きになるとか

人それぞれ思うことはたくさんある。

 

自分自身もその一人で

人を好きになることもあれば

人を愛おしく感じることもある。

 

そして、気づいたらそこから離れなくなってしまうほど

考えていたりする。

 

人を愛するということは

なんなのだろうと考えたときに

 

人を愛する前に自分のことを愛おしく感じていること

そのように感じる。

 

 

 

自分のことが好きですか?

 

 

 

 

 

昔、心の中で毎日のようにつぶやき、答えはいつもNOだった。

 

人と比較し自分は劣っているという劣等感

人は冷たいと感じていた昔の記憶

人なんてだれも助けてくれないという勝手な思い込み

 

それらすべてが自分というものを作り上げ

悲劇の主人公を気取っていた。

 

悲観的になれば、人は助けてくれる

悲観的になれば、人は見てくれる。

そんなことを考え、そして、悲劇の主人公から正義のヒーローになれると思っていた。

 

その答えは、薄々感じていた。

答えはNOだった。

 

悲劇の主人公を気取れば、気取るほど人は離れ

自己嫌悪から人を嫌いになり、自ら壁を作る。

人は信用ならないものだと考え、自らの殻に閉じこもり

偽りの自分を作る。

 

そして、それを自分として偽って生きてきた。

だからほんとの自分は情けなくて、どうしようもなく弱い、最低な人間だと感じていた。

 

 

 

 

そんな自分を誰が愛すのだろうか?

 

 

 

 

 

 

自分を愛おしく感じていない人間に愛はあるのだろうか?

その答えは自分の中ではでなかった。

自分自身を見ることよりも周りの評価を気にし、生きていた自分の中では答えなどどこにもなかったのだから。

 

答えを見つけたのはある日、自分のことをすべて振り返った時だった。

自分は自分の中に見てはいけないピースを一つ、見つめないようにしていた。

それが、自分の中の愛情を欠落させ、そして自分の偽りの形を作った原因と気づいた。

 

その瞬間、偽りの自分は消えて、自分が愛おしくなった。

自らを愛せるようになった。

 

周りの人たちが手を差し伸べていたのに

答えはいつも『どうせいつもの…』と勝手に思い込んでいた。

卑屈的になっていたのだ。

 

 

 

それがなくなってから、人のことを好きになった。

自分を愛せるようになってから、素直に感情を受け止められるようになった。

 

 

 

 

人を愛するということは

自分を愛することと相手のことをもっと感じ取り、対応していくことだと思う。

 

 

いつまでたっても愛せないのは相手のことをいとおしく感じる前に

自分のことがほんとに好きではない証拠に思う。

 

自分のことを抱きしめる。そして、すべてを受け入れる。

そしたら、人のことも受け入れられるようになる。

 

人のことを愛するということは

ほんとの自分を抱きしめ、素直になることなんだと思う。

 

だから人を愛せないという前に

自分のことを好きになってください。

そして、その自分を愛おしく感じて、許してください。

だって、それがあなたなのだから。

その自分を認められるようになったら

今度は相手のことも考えて、自分のいいところ、悪いところを使い分けてください。

 

そしたら、きっと今以上に人を愛せるようになると思います。

 

 

 

 

不思議な話を失礼しました。

これは自分に向けて書いた記事。

人を愛せなかった自分に書いた、今の本心。

もう大丈夫。もう大丈夫。

自分のことを愛おしく感じているから。自分が好きだし、みんなが好きだから。

もっと自分の周りの人も信じて、進め!!

 

 

 

 

 

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落ち込むことがあってもいいじゃない?けどね、泣いてばっかりじゃダメ

この前、さんざん泣いたかつです。

 

落ち込むことがあるとすぐに悲観的になって

すぐに感傷に浸って

そこから抜け出せなくなる。

 

そんなことがたくさんあると思います。

 

自分もいつもいつもそんなことを繰り返し、毎度のこと泣いていました。

 

ある時に、お前の涙は『ヒステリックな涙』と言われたことがあります。

この意味をはじめは理解できなかった。

 

自分の涙を否定されたようなひどい、絶望に落ちたんです。

 

けど、よくよく考えてみると自分って苦労して泣いたことってほんとに少なかったんだなって築きました。

 

今までの人間関係で、感傷に浸って泣いていた。

言葉では言い表せないですけど、そんなことが多々ありました。

 

そんな涙を見せれば、きっと誰かが救ってくれる。

そう思っていたんですよね。

 

それって違うんだなって感じたのはこの前、島田紳助の哲学の動画を見ていた時でした。

 

話しているときに思い出して、気持ちが熱くなって泣いていたんですよね。

それを見たときに自分の涙がヒステリックだったことを感じました。

 

負けちゃいけない。泣いてもいい。

 

感傷的になるんじゃなくて、それを乗り越える強さをもって

 

その気持ちをばねにして

その悔しさをばねにして

 

裏切られた経験も、人付き合いが苦手だった経験も

思い出したら、助けてくれる人がいたはずです。

支えてくれた人がいたはずです。

 

だから、泣いてばかりじゃだめ。

泣くときは思い切り泣け。

 

そのあとはそれを切り捨てて進むんです。

 

それでいい。それしかないんです。

だって、命は一回しかないのだから

 

強くなるのも大事。弱さをさらけ出すのも大事。

ただ、感傷的にならずに突き進みましょ。

 

みんな、あなたの味方なんですから

全力でやってみたらきっとわかることもあるんじゃないのかな

世の中で好きなことを仕事にできている人は少ない

むしろ好きなことが何かわからず

周りに流されて生きている人も多い。

 

自分だってその一人だ。

やりたいことも明確で

好きなことも明確で

それをどうしてもやりたくて

なのに目の前のことも全力でやらずに

いつも嫌だと言い訳ばかり

 

気づいたら負債を背負い

気づいたら一人になり

気づいたら周りの言いなりになって

 

毎日、何のために生きているのか

わからない日々を過ごしている。

 

日記のように書いているけど

自分の戒めのように

誰かに同じようにはなってほしくないから

ある言葉を伝える。

 

 

 

 

 

今日、ミックス。という新垣結衣主演の映画をみた。

主人公は富田という女性。

彼女は、幼少期に母親が前日本選手だったということもあり、厳しく育てられ

母親が他界するまでの間、自分を押し殺し、泣きながら卓球を続けていた。

母が他界してからは、自分を変え、ギャルになり、そして、卓球を捨てた。

いわゆる普通の生活を送っていたのだ。

 

そして、就職。

ただ、不器用なことと自分に自信を失っていたこともあり、人付き合いは良好に見えて、うわべだけ。周りにはいいように使われ、好きな人にもたぶらかされる始末。

好きな人は、付き合うことはできたものの、実業団卓球の選手で翌年、その後輩の女性と浮気をし、富田は自信をさらに失うことになる。

職場でうまくいかなくなってしまったこともあり、トンボ返りするもニートのような生活を送っていた。

 

そんな彼女の転機は、母親が残していた卓球クラブ。

高校時代の友達が引き継ぎ、コーチとして形があるだけの小さいクラブ。

そこでコーチを頼まれる。

最初は乗り気ではなかったが、元カレが全日本ミックスに出るところから物語が始まる。

 

ミックス。を見終わり、分かったことが何個かあった。

1つは人生で転落した時に支えてくれる人がいた。富田が支えとなり、また再起したきっかけは高校時代の友達だった。そして、その友達がふさぎ込んでいた心の中をしっかり受け止めてくれたのだ。

そして、やる気になり、空回りを起こし、惨敗。

またふさぎ込みそうになるけど、その時に一緒に組んでいた男性が今度は支えとなった。

 

同じような境遇で、彼はボクサーとして活躍していたが、妻の浮気がきっかけで、浮気相手を殴り、そして家を出た。彼もまた生きる希望を失っていた。

その彼と富田が二人で話し合い、お互いのことを少しでも理解しあった結果、少なからず友情が芽生えた。関係も近くなり、お互いに話し合う中になった。

 

2つ目は全力でやることだ。

ミックス。の映画でみて、分かったのは、空回りしてでも全力でやることだ。

全力でと言ってもがむしゃらにではない。

目標があった。それが全日本にでて、元カレと戦い、勝つことだ。

その執念があったからこそ頑張れた。

全力で毎日を取り組んでいた。

 

目標があるということはすごくいいことだと思う。

目標がないから、踏ん張りどころが無くなり、すぐ折れてしまう。

だから、目標に執着して、突き進んだ。そして、折れなかった。

折れなかったのも一人ではなく、ともに頑張る仲間がいたからだ。

個人個人の目標があったわけではないが、富田が掲げた全日本に出て、勝つ。

これが一緒にいた仲間に希望を与えた。

 

バラバラの心ではここまでまとまることも少ないのではないのかと思う。

 

3つ目は悔しがることだ。そして、熱意があることだ。

元カレが富田のことを馬鹿にしたことがある。そして、もう一度やり直そうといい、気持ちを動かしたこともある。

本心は悔しかったろうし、今更何を言うんだという気持ちもあったと思う。

だからこそ乗り越えられた。

熱意はほんとにあったと思う。全日本に出場する。きっと周りからしたら小さい卓球クラブが全日本に出場して、勝つことなんてできないと思う。

けど、その概念をはねのけるかのように富田は毎日必死にやっていた。

そしたら、気持ちも前向きになり、笑顔も増え、毎日が楽しくなっているそんな風に見えた。

 

自分もそうだが、

結局、全力で楽しめることをどんどんやらないといけないと思う。

もし、その場でできないのであれば、場所を変え、人と接する関係を変え、

そこだけではない居場所と目標を作ることが大事だと思う。

 

ブログを始めたときはそうだった。

ブロガーの人たちを見つけてはフォローし、考え方に共感できる人をフォローし、

そして、たくさん話しかけた。

少なからず、1か月全力でやっていた。自分の仕事を放り投げてまで。

そしたら、楽しかったし、アイディアももっと出てきた。

 

そうやって居場所を限定しないこと。

人は一人では生きていけないから、誰かと接すること。

一人でいては孤独になる。不安になる。悲しくなり、絶望する。

 

孤独でいることが悪いとは言わないが

自分を変えたいなら、今ある習慣と今の自分の気持ちを変えるためにも

もっと人と接してみるのもいいのではないだろうか。

そうやって、人とつながれば、もっと気持ちも明るく、自分の答えも見えてくる。

 

全力でやってみることは何かしらの意味を生み出す。

全力でやってみることは自分の人生を変えるきっかけをくれる。

どこでもそう全力でやってみる。

 

ミックス。は卓球の映画だけど、そこから見えてくる人生が見えてくる。

 

 

人生は十人十色。似たような人生を歩む人はいても、同じ人生を歩む人はいない。

だから、もっと自分をさらけだして

全力でぶつかってみて

 

君にしかないいいものを見つけることができるから

自分らしく生きる

自分らしく生きること

とても難しいようで簡単なような

どこかで人は何をしたいのかとか

何を求めているのかわからなくなる

 

そんな時にはふと自分の心と向き合ってみる

 

そうしたらきっと心の声は知っている

 

自分らしく生きる

 

飾らず

おごらず

嘘偽りなく

 

自分らしく

 

誰に言われようと

誰に何を求められようと

自分の求めている答えは

自分の中で分かっているなら

それをそのまま実行してみる

 

楽しむことと

全力でやってみること

 

ノウハウも技量もいらない

嫌よ嫌よもスキのうち

 

嫌なことから逃げてもいい

嫌ならやろうとしなくていい

けど、何事も全力でやってみたら

いつも間に好きになる

 

だから自分らしく

自分の興味あることも

自分のやってみたいことも

自分の嫌なところも

全部全部抱きしめて

好きよ好きよなるまでは

 

嫌も嫌も

スキのうち

固定概念を捨てる

固定概念って厄介ですよね

自分も固定概念がある時があります。

 

自分なりの概念を持っていると視野が狭まったり、自分の中の勝手な解釈に終わり、結果、自分の可能性を狭めてしまうこともあります。

それが変なプライドになって、頑固になって言ったりもします。

 

それに時間も無駄にしてしまうことも

 

例えば、このブログ

いつもはパソコンで書いているんですが、

今日はスマホからやってみました。

 

何故、やろうと思ったかと言うと

いつもパソコンじゃなきゃダメ!という概念に囚われ

結果、ブログ書いてないーなんてこと後しばしばあったからです。

 

そんな堕落した時を減らそうと考えた結果

とりあえず、スマホで書いてみたらいいんじゃない?ということになりました。

 

治すのはあとでパソコンで出来るし

まずは書いてみてそこから添削でいいと思ったんですよね。

 

そうやってできることを増やしていく。

そうやって無駄な空白を埋めていく。

 

余計な概念で自分を固定しないでください。

 

視野を広げるなら概念はとっぱらっちゃいましょ!

NARUTOのナルトを生きる①

NARUTOのナルトが大好きなかつです。

この記事はNARUTO今読んでます!っていう人はネタバレも入ってくるので

見れる人は見てください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


NARUTOって知ってますか?

ジャンプで連載していた忍者漫画

 

 

自分の中ではバイブルになっているくらい大好きな漫画です。

NARUTOは漫画で読むだけではなく、いろいろと考えさせられる内容もあったりするんです。

それを前に記事に書いたことがあるので、ぜひ読んでみてください!

 

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主人公はナルトという、両親が生まれた時にはいなくて、今まで一人で生きていた人間です。

そんなナルトが最終的に火影という長を目指す物語です。

 

ナルトの人柄は

・負けず嫌い

・人嫌い

・点数最低(ドベ)

・好きな人には苦手意識にもたれる

・人間関係築くのが苦手

・強がり

 

そんな感じなんですよね。

 

けど、最終的には人に認められる。

なぜ彼がそこまでいったのか

それを今日は書いていきたいと思います。

 

 

 

〇ナルトの障害

ナルトは生まれたときに九尾という化け物を体の中に閉じ込められています。

それを周りの人は知っているが、ナルトは知らない。それが親から子へと引き継がれ、ナルトは危ない奴、近寄ってはいけない存在という人になっていました。

それに相まって、もともと馬鹿ということもあり、結局人とかかわることをするも馬鹿にしたり、妬ましく思ったりしてきたんです。

 

ナルトの障害は

人とのコミュニケーションをできないわけではなく、人を心の底から信用できないから人とかかわるのをやめてしまった。

そこにあるのではないのかなと思います。

 

〇みんなに見てもらうために馬鹿なことをした

ナルトはみんなに見てもらうためにいたずらをたくさんします。

大事な火影の顔岩に落書きをして、人の気を引こうとしましたが、失敗に終わり、人としてダメなやつというレッテルを張られるようにまでなります。

結局、忍者の学校を出るまでは誰にも認められず、過ごしてきたのかなと思います。

 

〇守ってくれて、認めてくれる人がいた

ナルトの中で信用できる人がいなかったと話しましたが、実は初めのほうに二人だけにいたんです。

それが三代目火影と忍者学校のイルカ先生でした。

はじめて人を信用したのはイルカ先生だったと思います。

 

ナルトが金術の影分身の巻物を盗んだ話で、イルカ先生は犯人を知り、その犯人がナルトを殺そうとしていることを知り、ナルトのことを命を懸けて守りました。

 

犯人は

化け狐をなぜ守る。あいつはお前の両親を殺した犯人だぞ。お前も憎いはずだ。

そんな言葉をイルカ先生に投げかけ、それを木の陰で見ていたナルトはやっぱりイルカ先生も俺が憎いんだと思い、悔しがります。

 

しかし

「化け狐ならな。けどナルトは違う。あいつは…あいつはこの俺が認めた優秀な生徒だという言葉にをしました。

初めてうずまきナルトを信頼してくれる人がいたのです。

イルカ先生化け狐というナルトではなく、うずまきナルトを認めていたのです。

 

名前は大事な自分を認めてくれるものです。

あだ名やニックネームで呼ばれるよりも何より本名で呼ばれると人はうれしいものです。

それに認めてもらいたい人から守ってもらえたというのは、ほんとにうれしいものだと思います。

 

それをイルカ先生はやってみせた。

だから、ナルトはイルカ先生を父親のような存在だったのでしょう。

ナルトにとってイルカ先生はかけがえのない家族だったと思います。

 

 

〇人を信頼することの難しさ

どんな時でも人は人を信用する、信頼するまでにいろんな障害を乗り越えなければいけません。

信頼いていた人から、途中でいじめられる。もしかしたら、途中で信頼できなくなることはたくさんあります。

けど、必ずそれを受け止めて認めてくれる人はいます。

イルカ先生のようにほんとに信頼し、守ってくれる人もいます。

 

人を簡単に信用することも信頼することも難しい。

 

ただ、一つ言えるのは

落ち込んだ時に命を懸けてでも守ってくれる人

 

そういう人は信頼してもいいんじゃないでしょうか?

 

嫌われても認めてくれないって感じていても

それってほんの一瞬。その時だけの出来事かもしれない。

 

それでも許してくれたり、お前だからしょうがない付き合うよ、お前のことは俺が守るって

本心で話してくれる人を何人か見つければいいと思います。

 

自分はそういう人になるし、落ち込んでいることも多いけど、前を向いて泣きながらでも涙吹いて進もうと思っています。

 

ナルトを生きる。

もしかしたら、自己投影されているのかもしれないですね(笑)

誰にも話したくない過去の話をしよう

自分のことを話そうと思う。

話せるだけ話そうと思う。

自分は何者で自分は何を経験してきたのか。

思い出せるだけ、嫌われてもいいから

話そうと思う。

 

読みたい人だけ、読んでもらえば大丈夫です。

誰にも話せない独り言です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は小さい時からませていた。

ほんとにませすぎて、小学校中学年のころには、親に女の子とかかわるのはやめなさいと言われたようなこともある。それでもやめられなくて、隠れて遊んでいたこともあった。

ただ、それはほんとにダメなんだと感じたのは小学校高学年の時。それ以来、女性に手を出すのをやめた。

 

高学年の時にはミニバスをやっていて、ほかの学校の女子から文通をする中になったことがある。それも何通かを送るだけ。その時は人を好きになるという行為をわかっていなかった。わかっていたのかもしれないが、誰かに「〇〇がお前のことすきなのかもよ」とほのめかされ、なんだか馬鹿にさえされている感じが嫌だった。

だから、自分は恋愛をするのを隠すようになった。好きな人がいても周りには隠していた。普通にバレバレのようでいつものように茶化されたが。

 

小学校を卒業して、中学に入ってからもそれは変わらなかった。

ほとんど同じクラスの人だったから、好きなることも少なかったが、ある時にまた恋をした。そして、その人を目で追うのが癖になっていた。気になる人、好きだなと感じた人にはとことん話すようになるが、その当時から人とのかかわり方を知らなかったため、大体は好きな人には距離を置かれることがほとんどだった。

今思い返してみると、純粋にいきなり何の接点もない奴が話しかけて、一緒に帰り路を過ごすとかほんとにストーカーまがいのことのようなところまでしていたこともあったのだと思う。

そして、中学では2度恋をし、一人はしっかり嫌われるまでに至った。

もう一人は嫌いなのかは知らないが、自分から距離を置いている。

 

その時に恋をすれば、人に嫌われると感じるようになった。

 

恋愛だけではなく、友人関係もあまり良好ではなかった。

中学から仲のいい友達は一人だけ。それ以外は、ほとんど接点を持たなかった。

大人数でいるといじられキャラになり、対面の時は親身に接してくれる。

そんな奴がほどんどで自分の中では信用できない人達になっていた。

だから怖かった。遊ぶには遊ぶけど、いじられないようにと細心の注意を払いながら、人と遊び、何かあるなと感じたらすぐに回避するように逃げた。

おかげで疑心暗鬼になっていた。

仲良くしていたやつにゲームをかして、返してもらえず、そのゲームを売られたこともある。

それで泣いたこともある。それで友達なんて信用できないと思うようになった。

 

人は信用できない。信用できるのは誰もいない。

恋をすれば、その恋はうまくいかず、人を好きになれば、嫌わられるのではないかとびくびくおびえ、自分の身の回りにいる中で信用できるのは家族と中学の時に一人だけ話すことのできた友達だけだった。ただ、自分のことは一切、話したことはない。

 

そんな小中学校生活を過ごし、中学校でかかわることの少ない奴がいる高校を選んだ。

単純に新しい環境にかわることが楽しみだった。

けど、そんなのも2か月しないで終わった。中学校の時にいたある男子が、誰にも見られたくない動画を見られたのだ。

けど、その時にはもう人なんてどうでもいいと思っていたので適当にあしらい、近くの席の人と話したり、かかわれるような人と話すことが多くなった。

高校時代はそんなに苦しくはなかった。

恋もあきらめ、人間関係もほぼほぼ捨て、自分を偽り、人の目を気にしながら生きていいたらから。楽だった。むしろ、笑えるくらいに楽だった。

ちゃんと好きな人もいたけど、「好きになれば嫌われる。目で人を追いかけたら嫌われる」そうやって、自分の固定概念で自分を縛り続けた結果。ちゃんと何もなく無事に終わることができた。

そして、何人か仲のいい人はいたが、本心を打ち明ける人は誰もいないまま、しっかり高校生活を終えた。

 

高校卒業後は、工業系の仕事に就職しようと思っていたが、就労が難しい世の中だといわれたので、保育の道を進もうとした。その過程で仲良くなった人が一人だけいた。他クラスの男子だったが、同じ大学に進むからという理由で仲良くなった。

保育は短大に進み、その仲良くなった奴と一緒に行くこともあった。そいつが仲良かった女子とも話せるようになって、自分自身、少しは大丈夫かもと思ったが、

人とかかわることはほんとに無理だったようで、ずっと他クラスの人との交流をしていたために、誰一人として、心を開ける人はいなかった。

気づいたら、大学の先生の部屋に行ったり、一人でピアノ練習場に行き、個室で本を読んだり、ピアノを弾いたり、寝たりしている毎日を過ごしていた。

 

授業が終わったら、仲いい奴と一緒に帰る。サークルも入ったが、運動が下手すぎて、嫌われるのが怖くて、行かなくなり、体育祭、文化祭も楽しもうとするも周りの目が怖くて、結局一人を好み一人で過ごすことが多くなった。

他クラスの人とは仲がよかったので、それが救いだったような気もするが、昔の女性に手を出さないという自分の縛りを壊したせいで、自分はしっかり孤立の道を行った。

2年になり、車がつかえるようになると仲いい奴をのせて、ドライブをしていた。けど、真面目な印象を持たれていたので、それが相まって、性的なことに発展すればするほど、自分の行動は嫌われるものになっていった。

だんたんと人と接するのも怖くなり、話せる人も減っていき、気づいたら、また一人でいることが多くなった。

けど、高校の時に仲良くしていたやつとは変えることがしばしば。

大学卒業ぎりぎりにいつものメンツで今後も遊びたいと伝えたことがあった。

けど答えは

「大学で仲良くなった奴と一生遊ばないでしょ。お前とは多分かかわらないと思う」

そう告げられた。ほかに仲のいい女子が二人いたが、そいつらも同じ意見だった。

ちゃんと嫌われていた。ちゃんと裏切られた。その当時はそう思っていた。

今は俺が幼かったのかなと思うだけで、もうどうでもいいやと思った。友達ってんだろうって思うようになり、人なんてくそだと感じ、自ら心を閉ざした。

その時、運転していた俺だが、結局、途中でお酒を飲み、大学まで行く運転をそいつに任せた。もう、どうでもよくなった。

大学に到着してから、俺は大学の一人だけ話せるだろう先生のもとに行き、その話を涙ながらにした。その先生は何も言わずにコーヒーとおかしをだしてくれて、そのあとに一言だけ告げてくれた。

「友達って何かわからなくなった時期、私にもあった。私もそういう時にすごく悩んだの。で分かったのはね、友達ってお互いに高めあえる仲なのかなって思うようになった。そしたら、だいぶ人との付き合い方も変わったよ」

その言葉は確かになと思った。だから、心はすっと軽くなった。

 

結局、その友達と思っていたやつとはずっとまた戻れないかなと模索したけど、無理だったから自分から距離を置いた。ちゃんと一人になった。

 

大学卒業後はしっかり保育士になった。

保育士になった時には、もう仕事だけ頑張ろうとか、とりあえず、保育士楽しみだなとかそういうことしか考えてなかった。人のことなんてどうでもいいと思っていたから、職場の人間関係もどうでもいいと思った。

けど、少しでもと希望を持ったこともある。

そして、始まった保育士時代。

 

保育士になって、初めに聞いた一言は

「この保育園を私は今年やめようと思う」という先輩保育士の発言だった。

自分が入った時に、園長先生が新しくなり、前園長がいいとの声が大きく上がっていた。自分からしたら、今の園長先生が園長先生なのだから、どうでもいいんじゃないのと思っていたが、いろいろと話を聞くと、不平不満愚痴の嵐だった。

保育士始めた2か月の間は仕事に慣れるために毎日必死になってやっていたが、ふと気を抜くと、どろどろとしていた人間関係が見えていた。

予想はしていたが、それでも気持ちが悪くなるほどだった。

だから、園長先生と話す機会があった時は、今一人一人が抱えている不満を聞きだしたほうがいい、一人ひとり面接して聞いたほうがいいと、新人の若造の自分が園長先生に話していた。自分の発言がどう考えてもおかしいのは、その時はわからなかった。

とりあえず、この気持ち悪い人間関係のどろどろを解消したかった。

面接を初めて、自分の時には昼休みでは足りなく、4時間以上別室で話したこともある。何を話したかは覚えているし、それを会議で取り上げられて、話したこともある。

だいたいは、自分の話した内容がメインで、孤独を経験している自分からしたら、ショックはあったが、どうでもいいかなと思った。

結局、自分のワンマンプレイで人をひっちゃかめっちゃかにしたのだと思う。

 

それと自分はその時に自殺を考えたことがある。

自分の不祥事で大事な命を失わせてしまう可能性があったからだ。大事には至らなかったが、自分のミスで殺してしまうところだった。

その夜に首にひもを巻いて、死のうとした。けど、死んでも何にもならないことをしっていた。そのまま眠り、朝が来て、職場へ向かう時には自転車をこぎながら、泣いていた。一人になってもと職場に早く行こうとしていたのに、職場に行けば声を出したくなくなり、自分の精神はもはや死んでいた。孤独よりももっともっと大事な命を消そうとした。

すこしでも職場で笑顔を見るとその子たちに申し訳ない気持ちになり、笑顔でいながら、泣いていた。自分の気持ちはもう死んでいた。

 

それから保育士は好きだが、つづける意欲が減っていたのかもしれない。

なにもしらない家族もその気持ちを誰にも話さなかった俺はずっとこの気持ちをぶつけたまま、一人でもがいてもがいて、違う道を探して、逃げたかのようにやめたのだと思う。ほんとに申し訳ないことをした。

 

保育士2年目の時に違うことをしようと決め、保育を三年続けた後に映像会社の営業に転職した。もともと、保育士時代に動画制作にはまり、技術を高めていけたらと思っていたからである。就職はしたものの半年でやめていた。

営業がきらいなわけでも仕事が嫌いなわけでもなかった。けど、やる意欲を失っていた。いつもと同じルーティンで動き、仕事を真面目にしてこなかったことが今に響いたのだと感じた。その時に入った同期のほうが、バリバリ仕事もできて、同じ保育士を転職してきた人ということで、ほんとに俺とはま反対の人間だった。

そいつは人に好かれ、俺は人から嫌われ、撮影先で人の名前を間違え、撮影の仕方が悪くて怒られ、撮影させていただいた先方に涙ながらに謝罪した。泣いても意味のないことだと知っていたが、申し訳ない気持ちでいっぱいで泣いて謝罪した。

そして、保育士の時と同じように逃げてやめたように周りの人は感じていると思う。

俺は送別会も何もなかった。ほんとにそれだけ損害を与えかねない人だった。

 

そのあとは借金を背負い、派遣を始める。

派遣業は国際支援団体の募金活動、電力自由化の営業、家電量販店での販売員をする。

人と接するのが苦痛だった自分からしたら、ほんとに楽だった。

見ず知らずの人としかも接点もそんなに持たなくていいのだから。楽だった。

けど、孤独はぬぐえなかった。ほんとにぬぐえなかった。

ずっと一人の感覚だった。

 

簡単に人を信じることができなくなり、人の目を見て、笑顔で接していても人が何を考えているのか怖くて怖くてなにも話せないでいる。

この過去ですら、知っている人はほどんどいない。

話したところで受け止められる人はいない。だから、一人ぼっちなのだ。

 

今も同じことを毎日繰り返している。

今では家族でさえも心のよりどころではなく、職場の人でも信用できない。

なにもできなくなり、行動できなくなり、一人でいることを好み、誰かと楽しそうに話している空間が悔しいほどにうらやましくなる。

そして、自分は一人だと感じる。

 

そう感じてしまったら、誰も信用できなくなってしまう。

だから、だから、誰かに自分のことが嫌いなら嫌い。

嫌なら嫌だと面と向かって話してほしい。そうしないと自分はどうでもいい概念を作り、人と距離をとってしまう。

 

単純だ。自分から聞けばいいのだから。

そう思いながら、こうやっていつも一人の部屋に閉じこもり、自分の心の中をのぞいている気になっている人を見て、そんなのは自分じゃないと自分で言い聞かせ、ほんとに仲良くなれるのは誰なのだと毎日、悩み、苦しみ、笑顔をふりまき、

 

誰かとのつながりを求めている。

 

人がほんとは温かいことを知っている。

臆病になっているのは自分なのだ。

強がって泣いているのは自分なのだ。

 

 

最後まで読んでくれた人はありがとうございます。

 

 

 

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